ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

会話の可能性

ソフトバンク契約名義変更のため親父と外出する。手続きの間、親父にはペッパーさんとの会話を楽しんでもらっている。

 

ペッパーさんとの会話は基本的にターン制RPGのようにこちらが1アクション起こすとペッパーさんも1アクション起こす具合である。

コミュニケーションの不可能感が滲み出てきがちな会話においてはずっと俺のターン!が続いたりすることがある(わたしは仕事で緊張するとやりがちであり、死にたい)が、その意味でペッパーさんとのやり取りはコミュニケーションの可能性を実現するものである。気がする。

 

精神的に限界そうな振る舞いをする人がいるとそのコミュニティは当然ギクシャクするので、精神的に限界な人を出してはいけない…のであるが、どのように出さないのか。

 

上手く他人のモチベを左右できるような器の人がいればいいが、そこまで他人に介入できる余裕のある人がどこまでいるか。

別に介入しなくてもいいんだが、余裕のありそうなツラをしてる人がいると随分雰囲気は変わると思うなあと最近思う。限界からは程遠いのである。

 

精神的に限界になった時、それは勝手に自分で限界になっているだけなのであって、感情のセルフコントロールとかそういうのも、金貰ってる上での責務なのかなと思う。ママ(母親に限らない、概念的なそれを指す)に甘えるんでいいし

成果とか

Facebookを見る。賞状の写真がたくさん並んでいる。

 

賞状とか成果とか数字みたいなものと無縁の生活が続いている。いやもともと成果がなんかわかりやすくあったわけではないけれど。定量的な評価、みたいなものとは悉く無縁である。

 

定性的な評価はよく貰う。よく貰うが、なんというか、本質的ではない。本質的ではない、というか「物覚えがいい」みたいなことは仕事でと稽古でもよく言われるが、それは必ずしも仕事でも剣術でも「できる」ことには繋がらない、身体センスとかそういうことには結びつかない、と思う。

 

具体的な形で何かが貰えればいいなと思う。いやどうだろう。よくわからない。賞状一枚より毎日弁当が作れているとか、管理職プレゼンがすんなり終わったみたいなことの方が達成感があるかもしれない。毎日を毎日生きていきたい。

Life goes on bra,

表題通りの気分。

 

課長からよくわからない本を勧められ、その読書感想会をやろうみたいなスタンスで飲み会が催される運びとなりました。本の要約を東浩紀風にやると「公務員にとっての大きな物語は崩壊したので各々の小さな物語を拠り所に仕事しようね」みたいな話です。おおむねここのブログに書いているように穏やかに生きたい、もしくは今の部局の役割どうのこうのみたいな話をするでしょう。あーめんどい。

 

ここから先は職場のこととは一切関係なく、わたしの霊感による記述です。まあいつも霊感で書いてます。

 

人の人生それぞれなんだから好きにやらせろよ、というのがSNS現代ッ子のわたしの1つのスタンスなんですが、皆さんは現代ッ子ですか?

人の軌道修正を生きがいにしてるみたいな人をたまに見かけるんですが、どういう性癖でしょうか。飲み会でやたら「お前はそんなんじゃダメだ!」みたいな説教じみたアドバイスをしてくる人。DV的な征服欲でしょうか。

そりゃバブルもパンパンでメディアも限定された時代だったらよかったでしょうが、今そういうアレではないので、みんな違う生き物であることをもう少しアレしてほしい。アレです。