ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

パラダイム

圧倒的な転換が欲しい、現状を全てひっくり返してくれるような救世主のような存在。死神でもいい。囲碁界における人工知能のような。構造、もしくはルールを全て壊し、再構築する圧倒的な存在。

 

磨り減っている。なぜ磨り減っているのかはわからない。何がだめなのかわからない。自分の何がだめなのか、それとも職場がだめなのか。わからないから力点のつけ方がわからない。

 

負け戦。負け戦である。最初から間に合いもしない、達成不可能なプランを任されている。達成不可能を達成可能にするためには上司が意地を捨てなければならないが、そんなことはしてくれない。負け戦が続いていく。

 

全てが負け戦に思えてくる。全てが敗戦処理である。本来希望的な、積み上げていかなければならない必要不可欠なことですら、敗戦処理なのだと思えてしまう。何もしたくない。

会話の可能性

ソフトバンク契約名義変更のため親父と外出する。手続きの間、親父にはペッパーさんとの会話を楽しんでもらっている。

 

ペッパーさんとの会話は基本的にターン制RPGのようにこちらが1アクション起こすとペッパーさんも1アクション起こす具合である。

コミュニケーションの不可能感が滲み出てきがちな会話においてはずっと俺のターン!が続いたりすることがある(わたしは仕事で緊張するとやりがちであり、死にたい)が、その意味でペッパーさんとのやり取りはコミュニケーションの可能性を実現するものである。気がする。

 

わたしの人生はあなたの人生ではないし、あなたの人生のためのものでもない。

あなたが色々なものを捨てて夢中になれるものは、誰もが楽しめるものではない。あなたはそれを強制してはいけない。誰かの人生は、誰かの人生のものなのだから。

精神的に限界そうな振る舞いをする人がいるとそのコミュニティは当然ギクシャクするので、精神的に限界な人を出してはいけない…のであるが、どのように出さないのか。

 

上手く他人のモチベを左右できるような器の人がいればいいが、そこまで他人に介入できる余裕のある人がどこまでいるか。

別に介入しなくてもいいんだが、余裕のありそうなツラをしてる人がいると随分雰囲気は変わると思うなあと最近思う。限界からは程遠いのである。

 

精神的に限界になった時、それは勝手に自分で限界になっているだけなのであって、感情のセルフコントロールとかそういうのも、金貰ってる上での責務なのかなと思う。ママ(母親に限らない、概念的なそれを指す)に甘えるんでいいし

成果とか

Facebookを見る。賞状の写真がたくさん並んでいる。

 

賞状とか成果とか数字みたいなものと無縁の生活が続いている。いやもともと成果がなんかわかりやすくあったわけではないけれど。定量的な評価、みたいなものとは悉く無縁である。

 

定性的な評価はよく貰う。よく貰うが、なんというか、本質的ではない。本質的ではない、というか「物覚えがいい」みたいなことは仕事でと稽古でもよく言われるが、それは必ずしも仕事でも剣術でも「できる」ことには繋がらない、身体センスとかそういうことには結びつかない、と思う。

 

具体的な形で何かが貰えればいいなと思う。いやどうだろう。よくわからない。賞状一枚より毎日弁当が作れているとか、管理職プレゼンがすんなり終わったみたいなことの方が達成感があるかもしれない。毎日を毎日生きていきたい。