ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

弱者

 

僕には「できないと言う自由」というか、明らかに自分(若造)ができる範囲を超えた仕事を投げ捨てる自由があると思うんですよね。甘えかもしれませんが、誰かが甘えようとしてる結果自分がボロボロになってるんだから、別にいいと思うんです

社会人(社会人ってなんだよとまた悪態をつきたくなる)になってわかったのは、大人(大人ってなんだよ)はずるいということです。自分の怠惰、ミスをさも自分が悪くないかのように他人に転嫁します。より弱い人のせいにしますし、悪いことの理由を他者に求めます。その他者というのは、ひとつ前の記事の続きになりますが、やはり本能的に、動物的に自分より「弱い」と認識した相手になります。自分より強い人に自分のミスを背負わせることはしませんよね。ずるいね。

こういうことを人に相談すると、きれいな言葉が返ってくるのでまた頭が痛くなります。きれいな言葉というのは、物事が良い方向に循環していくものだという宗教に入っている人がぶつけてくる感じのやつです。

 

物事が良い方向に循環していくものだという宗教に入っている人、という響きが気に入ったのでもう少し続けます。たぶん思春期にいい経験をしたのだと思います。「やればできる」というようなことを実感できる、そんな環境があったのだと思います。自分も受験でそこそこ思い通りのところに入学しといて何を言ってんだという気がしますが、しょせん受験は自分と自分の頭がもたらす数字をどうこうするだけの営みなので、正直やれば誰でもできる類のものです。

良い方向循環脳の人たちは、「人に褒められる」ような体験の数が半端じゃなかったんだと思います。クラスメイトに疎外されたこともなければ、顧問に裏切られたこともないような気がします。偏見です。

自分の思春期を思い返すとそこまで絶望的な営みをしていたわけではないと思うんですが、何がここまで自分を卑屈に悲観的にさせているのか、就活を終えて社会人(社会人ってなんだよ)2年目を迎えた今でもわかりません。いい加減幸せな時に幸せだって胸を張れるようにしないと、自分に家族ができたときに、それまでをも破綻させてしまうような気がしてしまいます。