ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

情緒

自分の文章を見返しているとなんかこう、情緒性?みたいなものがストンと抜け落ちているのがわかる。どこへ行ったのか。

仕事柄情緒たっぷりな文章なんて書こうものなら一瞬で死んでしまうので(現に怒られたことがある)、ある意味これも、質の良し悪しは置いておいて、出来上がってしまった1つの文体なのかもしれない。条文めいた文書を書けるようになるでしょうか。

 

閑話休題。心が疲れているのよとよく言われる。疲れていない同期の人間を俺は知らない。俺の周りにダウナーな人間が集まっているだけだという仮定はまあともかくとして、20代半ばの人間が軒並み疲弊してるとしたら終わってると思うのですが、どうでしょうか。

 

自分とその周りが狂っていたことの理由を答え合わせするのが私のライフワークの1つであり、それは色々な文章を読んだり、狂わせた側の立場の人間になってみることでようやく丸つけが終わるわけですが、今こうして若者が軒並み終わってしまってることの理由を早々に相対化したい気持ちがあります。

 

なぜいま答え合わせできないのかというと、答え合わせのための書物はあくまで市場に並ぶ商品でしかないので、「今若者を狂わせている主体」と作り手(もしくはメイン顧客層)が一致していた場合、そういう書物は世に出てこないから。内田樹がバカ売れする理由と表裏の関係。