ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

治らん(なにが?)

風邪5日目、発汗量がバグっており、通勤が危うい。発汗量がバグってんのか?気温がバグってんのか?いずれにせよ自律神経がバグっていきます。

 

去年は熱出しながら仕事したこともあったけどもはやそんなことしなくても世界は滅ばないことがわかったので、しません。自分が終わった時に同時に世界も終わっていく宗教の人がいますね。わからなくもないですが、私は自分が死んだ時に悲しむオカンの顔が想像できるので、その宗教には入っていません。入れたら楽だろうけど。

 

自分が死んだらそこで世界も終わり(荒廃していくとかそういう話ではなく単に実存として終わるという意味)という世界の捉え方、生きやすそうではありますが、自分をロールプレイしているという視点が加速していきそうで怖いですね。いや、その逆の捉え方とどっちがよりロールプレイ臭いんだろう。どちらですか?

 

これについて考えると生と死の境を捉え難くなり、生と死のそれぞれの理由を探し始めて危険ですが、続けていきます。

 

私が生きる理由も死にたい理由も特にあるわけではなく、あるのは「能く死にたい」という願望なだけのような気がします。悲劇的に死にたいのではなく、ただひたすら喜劇的な最期を遂げたいと思っています。孫に看取られながら死ぬみたいなアレです。

 

ある種では死にたくてたまらないわけですが、「まだ今はその時ではない(=死にたくない)」という意識に引っ張られて過ごしていると思います。かといって積極的に生きたいかというとまた難しい話ではありますが。死ぬべき時に死ぬ、ハラキリの精神(ウソ)