記憶力がない
ふつうに日常のことを書きます。
今年度に入ってから記憶力が異様に落ちました。
具体的なところだと
・手帳に書きそびれた予定を把握できなくなった
→以前は書かなくても覚えてたor翌日に書くとかしてた
・自分の行動の根拠が思い出せない
→旅行の日程を変えた後、なんで変えたのかマジで思い出せない
・なんで席を立ったか忘れる
・物をどこに置いたか忘れる(無意識にどっか置く)
ボケてるんでしょうか。論理的思考力?とやらもまるでなくなっている気がします。仕事柄ルーチンワークしかしないし頭脳労働もないんで仕方ないのかな。
今年度に入ってからこういう症状が現れはじめたのが怖すぎるんですが、なんか引き金があったんでしょうか。治癒方法は。
ただ生きること
ただ生きるだけでよいのに。
なんでしょうか、我々の世代に共有されている呪いなのでしょうか、あるいは義務教育の方針であったのか、我々は「ただ生きる」ことを許容してもらえない。
生まれた意味、生きる目標、達成感、自分の軸、あらゆる手段で、我々の人生に物語性を持たせようとする圧力がどこかにあります。
まあ確かに「ただ漫然と生きる」よりは、自らの物語を構築しながら生きていく方が健全なのではないかという気はします。
しかしもはや「ただ生きる」こと、それ自体が密度の高い物語となりうるくらい、我々の世代は切迫して来ています。切迫しているというか、金がなく、国に対する希望がなく、情報過多ゆえに夢を見ることもできない。
「ただ生きる」ことが精一杯なのです。
ただ生きること
ただ生きるだけでよいのに。
なんでしょうか、我々の世代に共有されている呪いなのでしょうか、あるいは義務教育の方針であったのか、我々は「ただ生きる」ことを許容してもらえない。
生まれた意味、生きる目標、達成感、自分の軸、あらゆる手段で、我々の人生に物語性を持たせようとする圧力がどこかにあります。
まあ確かに「ただ漫然と生きる」よりは、自らの物語を構築しながら生きていく方が健全なのではないかという気はします。
しかしもはや「ただ生きる」こと、それ自体が密度の高い物語となりうるくらい、我々の世代は切迫して来ています。切迫しているというか、金がなく、国に対する希望がなく、情報過多ゆえに夢を見ることもできない。
「ただ生きる」ことが精一杯なのです。
なんかもう
もう限界なんだと思います。こんな些細なことで限界になるのも器の小さい話だなあとは思うんですが、私は筋の通らないことを無理矢理通そうとされるのが本当に本当に嫌いなんだなあと。
心の均衡が保てなくなってきました。些細なことで怒り、悲しみ、動揺し、挙動が不安定になってきたことを実感しています。潮時なんだと思います。
なんらかの形で距離を置くことを考えたい。
熱中症
人体は壊れる、という意識が共有されてるのは良い傾向だと思います。
理性、肉体、精神、全てが良い方向に循環していくようなライフスタイルを送りたい。そういうスタイルを全員が貫いた時にその組織がどうなるかはわからないけど、それで滅びるようなら元々ダメだったんではないのかな。
組織を人体、例えば筋肉に置き換えた時、毎日朝晩ウェイトトレーニングをするビルダーはいないわけです。そんなことをしたら壊れてしまう。精神に置き換えても卑近な例がままあります。
無理をしない。色んな人が無理をしなくても回ってる組織に属したいですね。今のところ私を含め周りの人間はみんな無理をしています。どうして無理をしてしまうんかな。
キャパとか限界とか
人によって限界は異なる、というただそれだけのことを理解しないがゆえに大体の不幸は起きている気がしないでもない。
まあ他者への期待ゆえなのでしょうが。
他者に期待しない。救いを自分の中で完結させる。脱落した他者を責めない。他者の人生はあなたの人生ではない。
寛容にならなければならない。怒りを顕にしてはいけない。他者への期待を裏切られた時、それを他者の責としてはならない。