ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

摩耗

一か月ぶりの更新か。多忙な時期でした。

 

先々週?仕事中ですが、生まれて初めて人に大声で怒鳴りつけるということをしました。僕が癇癪持ちっぽいところがあることは近しい方であればご存じかとは思いますが、声を張り上げるところを見たところはいないと思います。僕も僕が声を張り上げるところを初めて確認しました。そんな日が数日続いたところ、なぜか涙が止まらなくなり、そのあとに絶大な虚無感に襲われるといった次第でした。

吹けば飛ぶようなやる気をなんとか保ちながらなんとか仕事を続けていますが、完全にガス欠な感じがします。何がそんなに自分を絶望せしめてるのか詳しいことはここでは言えないんですが、本当にどうしたらいいかわからない。布団にいる時間が長くなりました。電車に乗ると胃が軋むし、声を張り上げた相手とはあと1年ぐらいやりあっていかなければならいのですが、アポもなしに突然現れる相手なので毎日変な汗をかきながらデスクに向かっています。

ここまでの文章を読み直して「あ、相当言語中枢がおかしくなっているな」という感じを自分で抱きました。いい傾向です。

自分の仕事はよく言えば人と人との間の「調整」ということに尽きるんですが、「調整」というのは同じステージに立った人同士がいて初めて成り立つものだと思うんですね。同じ規格の歯車、一つのメカを動かすための歯車、それらの位置を見てやったり注油したりってのはわかるんですが、実際はそうでない。日本語が通じない人達や目的が明後日を向いてる人たちの落としどころを見つけるのは不可能でしょう。小池百合子への批判を見ればなんとなくわかるかと思います。私も遠からずあんな感じです。

日本語の通じない人たちとの調整に何が必要かというと、同じ土俵まで知性を下げることが求められる気がします。言語に支えられた知性は意味をなくし、「なんとなく強そう」「なんとなく怖そう」「なんとなくこいつの言うことは聞きたい」というなんとなくの動物的な世界が展開されます。

そうすると我々がお役人になるために必死で鍛えてきた能力というのは、ほぼ意味を為さなくなります。筋肉、威勢、もしくは年功序列に支えられた無意味な意地やプライドが戦闘力として勘定されることになります。ひょろひょろの若造にできることは何もありません。私はかろうじて小学生時代から鍛えてきた二の腕と親から授かった低音があるので何とかなる気がしなくもないですが、しょせん若造です。私の一存では何も決められないので、動物的な人々に食い殺されておしまいです。

そんな仕事を延々と続けていたので、何かが壊れてしまった感じが先週くらいから続いています。打開策がほしい。