ぶりこらーじゅ

思いついたことを組み合わせて

惰眠

土曜日。休み。

 

なぜか二足歩行をする気にならず、夕方四時くらいまでずっと眠り続けていた。なぜそんなに疲れていたのかわからないけど、多分何か嫌なことがあったのだろう。嫌なことが起こりすぎてよく把握できない。

 

夕方は道場の先輩達と肉を食った。楽しかった。制度的なものに殺されず、仕事についてもプライベートについてもちゃんと自分の人生に対して前向きな大人達がいることに安心したのかもしれない。同業者はみんな制度や社会に殺されてしまっており、息苦しい。

 

自分の人生をこれでいいんだと思える力って、どこからやってくるんだろう。わたしは私が大丈夫だと思ってみたい。私が何かを選ぶとき、それではだめだと言ってくる人や、未来がないのだと煽り立ててくる社会がいる。私は大丈夫なんだと、誰かに言ってほしいのか、それとも自分1人で確信できるようになりたいのか。秒速5センチメートルみたいなことを言っている。

 

バブル崩壊後に生まれた僕たちは、多分同じような悩みを抱えているはずだと思う。みんな自分が正しい方向に向かっていると確信できる何かが欲しいんだろう。でも何者もそれを担保してはくれないし、自分なりにやりくりしていくしかない。

 

私はしばしば自分の価値観と社会(漠然とした模範の集合体)とのズレに悩まされる。ひと昔前なら社会はある程度の経済的、論理的、倫理的な正しさを見せてくれていたのだろうが、今は多分そうではなく、自分の価値観に忠実にいきていけばよいのではないかとも思う。

 

私はどうなりたい?

金がない

金がない。

 

なぜないのか。給料が低い。

給料が低いことを嘆いても金はないままである。

 

消費が多い。なぜ消費が多いのか。これなんとかなっただろと思えるもの羅列してみよう(家計簿をつけろ)

・真夏の肉体労働により飲み物代かさむ(¥5000)

スーパー銭湯で豪遊してしまう(¥3000)

iPhoneを破壊する(¥10000)

・いらん漫画を衝動買いする(¥5000)

・無駄にいきなりステーキなどの高いランチを食う(¥2000)

・無駄にコンビニで缶ビールとか買っちゃう(¥3000)

などなど。

 

冬になれば飲み物はまあ白湯かインスタントコーヒーしか飲まないので実質0円のようなもの。

スーパー銭湯は行くかもしれないけど冬なのでビールやつまみで豪遊はしない。

iPhoneは破壊しない。

いらん漫画を読む前に家にある漫画や書物を消化する。

ランチはダイエットがてら質素なメシで済ませ。

ビールじゃなく家に備蓄してあるウィスキーを飲め。

などなど。なんとかしたい。

 

娯楽ってなんでしょうね?

まあ今はネット環境さえあればどうとでもなってしまうからなあ。

モチベーション

労働に対するモチベーションがない。以上。

 

モチベーションがないのは労働に対してだけか、そもそも生きることにモチベーションがないのではないか。労働と生活は分割できないのか、ワークライフバランスとは……。

 

やる気が満ち溢れ、感情豊かになっていても、どこか空回りしてしまうので、適当にやっていくのがよろしい気がします。あーまあこんなもんだよな、はいはい、やりますやります。みたいな。やりたいことがあると、やりたくないことに阻害された時萎えてしまう。

 

休日を楽しく過ごしたいというモチベーションだけでいい気がしますね。そしたら仕事もキッチリやるでしょう。いい休日のためには仕事をキッチリ終わらせなければ。そんな金曜日

給料が低すぎる話

給料が低い。以上。

 

給料が低いとなぜつらいか。消費量に足るだけの収入がないから。なので消費量を減らす方策に出たいのだが、酒はうまい。

 

もっとこう積まれたゲームや本を読むとか色々あるはずなのだが、それはなんとなく休日の過ごし方としてあまりストレス解消にならないというのがある。やはり前後不覚になるような体験というのは休日に金を使わないとなかなか味わえない

 

車の運転の練習でもするかあ。なんのために?車の運転はアクション性があるので楽しい、少なくとも意味のない形稽古よりは。あとは将来のため。将来ホームセンターで何かを買いあさり、持って帰る時のため。

 

三連休の過ごし方を考えてると、今年度の仕事を十全に終えることができるのか不安になってくる。出勤した方がよくねえか、みたいな

由来

ブリコラージュというのは文化人類学の用語でして、意味はまあググってください。

 

「その時見たものと今持ってる自分の思考回路だけでとりとめもないあり合わせの文章を垂れ流したいなあ」という願望からつけました。ふざけた感じを出したいのでひらがなで。

 

なんか一貫したテーマとか理論とかに基づいてブログ書くのだるいなと思ってこんな名前にしました。人気が出るのは一貫したブログです。

 

特にブリコラージュ的なものを人生の指針にしているわけではないと思いたいですが、現実はまあ未開の地の人間のようにその時あるものでどうにかしていくしかない感じの生き方になっている気もします。抜本的に自分の物語を変えたりしようとは思わない。たまにドラスティックな変化や進化を求め続ける成長の権化でしかない人いますが、何か犠牲にしてる気がします。何を犠牲にしてるのかはわからない。

 

 

ゲームにはまれなくなった話とロールプレイの話

昔は死ぬほどゲームしてたけど、今は全くしないという人結構いると思います、私もその口です。

 

なぜか。時間がないということであっさり結論が出てしまうかと思いますが、なぜか時間があってもやる気になりません。

おそらくあらゆるものが有限であるという意識が働いてるのです、私の場合は。時間はもちろんのこと、綿密にプレーするための頭の体力や集中力、そういったものが圧倒的に有限。

もう1つ。社会人全般に言えることかどうかはわからないですが、日頃の業務にあたっていて、磨耗していく、劣化していく能力の方が圧倒的に多いこと。肉体の衰えなんかがいい例でしょうか。私はそれに加えて文章力思考力がボロクソになって来ています。業務全般、つらいことやトラブルはあり、それで鍛えられる能力もあるにはありますが、どうしても絶対量が衰え>成長になり、そうするとゲームのキャラのレベル上げとかしてる場合じゃないなとなる。衰えを取り戻さなくては、という気分になります。人間は過去の栄光が捨てられない。

 

ここからまた別の話。

そうした自分の能力のマネジメントをしているうちに、自分はゲームのキャラなのかもしれない。という感覚が根付いてきているように感じます。キャリアプランとか結婚の年齢とか子供は何人欲しいとかそういうことを考えていると、自分が「真っ当ぽいサラリーマン」のロールプレイをしている気分になります。第三者として自分を操作しているわけです。これが奇妙な感覚なのか一般的なそれなのかはわかりませんが。

 

ロールプレイという表現、非常に今の状況に似つかしい。まあ仕事は個人ではなく担当主事としてやっているものだし、今後の家族生活も、ただ自分が「そこにある」だけでよかった子供の自分とはおさらばし、親なら親として、子なら子として、夫なら夫としての役割というものが生まれてくる年齢です。そのためのスキルアップも、私という個人ではなく、私に与えられた役割のために必要なものです。

私という個人はどこへ………という気持ちが高まってくると、離婚をしてしまったり仕事を辞めてしまったりするのでしょうか。ロールプレイされている私(役割としての私)と、ロールプレイをする私の境界がよくわからないことになると多分高まってしまうのでしょう。物語は慎重に選びましょう。

定年即死と、ただ生きるということ

どの業界でも定年が延長されつつありますが、多分我々が退職を意識する頃には70歳まで働かされることになっているのでしょうね。

 

まあ確かに医療が発達して、寿命は伸びて、そのぶん働けるということなのでしょうけども、相応の給料をもらうに足る知性が維持されるかどうかってかなり本人の努力次第な気がしますので、多分私は無理でしょう。70で定年退職した途端に逝きそうな感じがします。もしくは60を過ぎたあたりで耄碌をしすぎて若手にウザがられることでしょう。だったら孫をあやしながらのらりくらりと過ごしたいですわな。

 

老後の楽しみというものが到底なくなりそうなので、長いスパンで人生を考えていかねばなりません。老後趣味に没頭することも、今バリバリ働くという生き方もできません。悲しいですね。

 

とは言っても年金制度は崩壊するでしょうし、てめーのケツはてめーで拭けという風潮が私の定年間際には浸透しているような気もします。どうか早死にするか、60で一度(70まで働いた時と遜色ない)まとまった退職金をもらえるという選択肢が欲しいですね。70までバリバリ現役、というのはブラック体育会の思考の片鱗を感じるので、リタイアする人は気持ちよくリタイアさせてほしいです。再任用の給料増やすんでいいから。

 

いずれにしてもただ生きる、ということの方法を我々の世代は問われています。経済の流れに任せてとにかく働き、稼ぎ、60になって休むというプランでは我々の肉体と精神は朽ち果てることでしょう、なぜなら流れというものが死滅しているから。

自分なりにこういう風に生きるというのを決めて、周りからとやかく言われようとたくましくやっていくことが必要なのではないかと思います。ただ働いてれば生きて子孫が残せ、老後は安泰という神話は崩壊して来ている気がします(霊感)。

 

生きるということのハードルをもう少し重く捉えなければなりませんね。